このレッスンでは、会社の中にある知識を「暗黙知」と「形式知」の2つに分けて見る目を作ります。哲学者Polanyi(マイケル・ポランニー)の一文から始め、経営学者Nonaka(野中郁次郎)が経営に持ち込んだ二分法へ進みます。
なぜ最初にこの区別を学ぶか。会社の仕事の多くは、言葉になっていないまま人の中にあるからです。 ベテランが辞めた日に見積もりの精度が落ちる、という出来事は、その知識が言葉になっていなかったことの現れです。区別ができると、何を残すべきかが見えます。
人は語れる以上のことを知っている
人は、自分が説明できる範囲より多くのことを知っています。 Polanyiは1966年の著書『The Tacit Dimension』を、「We can know more than we can tell(人は語れる以上のことを知っている)」という事実から始めると宣言しました。
詳しくはUniversity of Chicago Press「The Tacit Dimension」(新しいタブで開きます)をご確認ください。
例えるなら、自転車の乗り方です。乗れる人は体で知っていますが、「どうやってバランスを取るか」を言葉で教えて乗れるようにはできません。人の顔を見分けるのも同じで、知人の顔は一目で分かるのに、どこで見分けているかは言えません。
| 知っていること | 言葉にできるか |
|---|---|
| 自転車に乗る | 乗れるが、バランスの取り方は説明できない |
| 知人の顔を見分ける | 見分けられるが、どこを見ているかは言えない |
| 難しい客への最初の一言を選ぶ | 選べるが、なぜその言葉かは本人にも曖昧 |
3行目が、会社の中で毎日起きていることです。 説明できないから知識ではない、とは言えません。説明できないまま、確かに仕事を動かしています。
あなたの会社で「あの人に頼めばうまくいくが、理由は誰も言えない」という仕事を1つ思い浮かべてから、次へ進みましょう。
野中は知識を暗黙知と形式知に分けた
NonakaはPolanyiの考えを受けて、知識を「形式知」と「暗黙知」の2つに分けました。 1994年の論文での定義は、形式知が「形式的で体系的な言葉で伝えられる知識」、暗黙知が「個人的な性質を持ち、形式にしたり伝えたりしにくい知識」です。
詳しくはNonaka, I. (1994)「A Dynamic Theory of Organizational Knowledge Creation」Organization Science 5(1), 14-37.(新しいタブで開きます)をご確認ください。
同じ論文には、言葉や数字で表せる知識は「あり得る知識の全体から見れば氷山の一角にすぎない」とあります。水面の上に出ている部分が形式知で、水面の下の大きな塊が暗黙知です。
| 形式知 | 暗黙知 | |
|---|---|---|
| 形 | 言葉、数字、図、手順書、データ | 勘、コツ、体の動き、ものの見方 |
| 伝え方 | 文書を渡せば伝わる | 一緒に働かないと移らない |
| 会社での例 | 価格表、就業規則、業務マニュアル | ベテランの見積もりの勘、クレーム対応の間の取り方 |
暗黙知には技能と考え方の2つの要素がある
暗黙知は、手足で覚えた技能と、頭の中の見方の2つからできています。 Nonakaは暗黙知に「技術的要素」と「認知的要素」があると整理し、前者を具体的なノウハウや技能、後者を人が世界を捉えるときの「メンタルモデル」(信念、視点、ものの見方)だと説明しました。
なぜ2つに分けるのか。残し方が違うからです。技能は隣で見せれば移りますが、考え方は「なぜそう判断したか」を本人に問わないと出てきません。
| 要素 | 中身 | 会社での例 | 残すときの向き |
|---|---|---|---|
| 技能 | 手順を体で覚えている | 機械の異音を聞き分ける、見積書を30分で仕上げる | 隣で見せる、やらせる |
| 考え方 | 何を大事にし、何を疑うか | 「この客は値引きより納期を気にする」と見抜く | 判断の理由を問う |
暗黙知は人と一緒に消え、形式知は裏付けを失うと薄れる
2つの知識は、片方だけでは長持ちしません。 Nonakaらは2000年の論文で「暗黙知の洞察を欠いた形式知は、すぐに意味を失う」と書いています。マニュアルだけが残って、なぜその手順なのかを誰も知らない状態がこれです。
逆に暗黙知だけの会社では、知識が人に付いたまま動きます。1994年の論文は、共有経験だけで作られた知識は「共有できる範囲が限られ、それが作られた文脈の外では使いにくい」と指摘しています。
| 状態 | 何が起きるか |
|---|---|
| 暗黙知だけ | 人が辞めると消える。支店を増やせない |
| 形式知だけ | 手順は残るが、例外に対応できない。なぜかを誰も言えない |
| 両方が行き来する | 人が入れ替わっても回り、例外が出たら手順が更新される |
3行目の状態を作る方法が、次のレッスンで扱う4つの変換です。 ここでは「両方が要る」ことだけ持ち帰ってください。
あなたの会社のマニュアルを1つ開き、「この手順の理由を言える人は誰か」を考えてみましょう。誰もいなければ、その形式知は裏付けを失いかけています。
